監督インタビュー

Q:以前から中野監督は、オリジナル脚本に対するこだわりを発言されていましたが、今回初めて原作ものとして中島京子さんの小説を映画化されています。
これは僕の中で凄いタイミングだったと感じていることなのですが、『長いお別れ』は『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)が公開される前にオファーを頂いた作品だったんです。『湯を沸かすほどの熱い愛』が公開されてからは、たくさんオファーが舞込んできたのですが、まだ原作をオファーされることに慣れていない頃だったので、嬉しくて(笑)。プロデューサーから渡された原作を素直に読んでみました。すると「僕だったらこうするな」という想像がどんどん湧いてくるような本だったんです。映画というのは「今、撮らなければならない」或いは「今、必要だ」という点に価値があると思っていて、まさに『長いお別れ』はそういう作品だと感じました。「苦しい現実の中でも人間って愛おしいよ」ということが魅力的に書かれてあるのですが、僕自身も同じ事を描いてきた。そこも合致していたんです。

Q:原作では三姉妹という設定が、映画では二人姉妹という大胆な変更が成されています。それでも物語の印象が変わっていない、素晴らしいアイディアだと感じました。
原作を映画化するにあたって、まず考えたのは、時代や昇平の症状を描くために“四段階に分ける”ということでした。まず時代を四つに分ける。そして、お父さんとお母さんの世代、娘たちの世代、孫の世代、それぞれ三世代を描くためにお父さんを軸にする。さらに、並列する同じ七年間に対して、それぞれがお父さんとどのように絡んでゆくのかを描く。そうするうちに構成が決まり、各パートを整理していたら、三姉妹というのは「どうやら少し多いのではないか?」と感じたんです。娘の世代は対照的な二人でいいし、実は何人かいた孫の設定も崇ひとりに減らしました。骨子は変わっていないけれど、人物像に関しては自分なりの解釈を加えています。「原作をこんなに変えてしまったら、中島先生に怒られるんじゃないかな?」と思ったのですが、中島先生は「こんな感じになるのね、すごく面白い!」と仰って下さったので、嬉しかったです。
Q:血縁に縛られた家族を描いた『チチを撮りに』(13)、血縁に依らない家族を描いた『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)、表層的には相反する家族関係を描いているように見えますが、中野監督の中での“家族のあり方”はどのようなものなのでしょうか?
家族なんて言うものは、血縁があったとしても家族ではない人達がいるし、血縁がなかったとしても家族なんだという人達もいる。だから、ほとんど同じようなものを描いているという感覚です。今の社会では人間関係が希薄だからこそ、人と人の繋がりやコミュニティの価値をエンターテインメントとして描いています。ただ、その描くベクトルが違うだけなんですね。僕の中では、家族という土台があって、そこで家族の愛情の話を描いていることに変わりはないんです。もうひとつ「長いお別れ」には、僕の作品と共通するものがあって、それは“残された人間がどう生きるのか?”ということを描いている点です。悲しい題材ですが、そこで人がどのように愛おしく、また、滑稽に映るのか?ということを描いている。笑かす、のではなく、笑ってしまう、というのが本当の笑いだと思っていて、辛いのに笑えることって本当の笑いに違いないんです。
Q:もうひとつ、中島京子さんの小説と中野量太監督の映画には<食>という共通点があることも感じました。
基本的にはふたつ意味があって、食べるという行為は、人が“生きる”行為ですよね。あと、“食卓を囲む”ということを、僕はこれまでの作品でもやってきたんです。誕生日に家族が昇平を囲みますよね、あれが基本なんですけれど、その基本が崩れるところから物語は始まる。「問題はここから始まるぞ」というズレみたいなものを上手く演出したかったんです。この映画は「お父さんが崩れていって家族が壊れかけるのだけれど、家族だからこそ良さを取り戻してゆく」というお話なので、食卓を囲む場面は重要でした。僕のイメージでは、台所があって、居間があって、それが空間で繋がっている。脚本上でもひとつの空間として書いているので、撮影ではシーンで割りたくなかったんです。だから東家の間取りに関しても“居間から台所が見える”ことにはこだわっています。



Q:脚本に関しては、山﨑努さんがとても気に入っていたという話をお聞きしました。
最初にお会いした時は5時間くらいずっとお話をして、その後もお宅へ訪問させてもらったりして、山﨑さんといい関係性が構築できていたのも、この映画にとって幸運なことでした。撮影現場では対等に接して下さり、僕のことを信じてくださった。山﨑さんは芝居を間違えないんです。よく脚本を読み解いて頂いて、僕の仕掛けも理解して下さっていました。だから、山﨑さんとの関係はクランクアップまでずっと楽しかったですね。
Q:撮影現場で中野監督は、台詞に対する間、リズムやテンポにこだわりを持っているよう見えました。完成された映像が頭の中にあって、その映像に限りなく寄せてゆくという感じを受けました。
台詞に対する感覚の合う役者さんは、やはり現場でも気持ちいいです。確かに僕の頭の中には完成形があるのですが、そこをはみ出して欲しいという気持ちも同時にある。時々それを飛び越えてくるような役者さんがいて、それが面白いんですね。例えば、縁側の場面での蒼井優さんと山﨑さんは僕の想像を超えてきた。「ゆーっと」と「くりまる」という台詞で成立させるのはとても難しいんです。下手すると何も伝わらない場面になる。そういう意味では僕の想像を超えて、役者の力を見せつけられたシーンになりました。蒼井さんも僕の意図をよく汲んで下さるんです。言葉に対するこだわりも凄くて、芝居の選択を間違えない。すべてを自分のものにしていて、僕の中で彼女は、とてつもない“芝居モンスター”です(笑)。
Q:役者さんによっては撮影の本番まで力を温存される方もいらっしゃいますが、中野監督は撮影のテスト段階で完成したものを出して欲しいと狙っている感じも受けました。
僕は、ある程度はテストの段階でいいものを見せて欲しいというタイプです。見せてもらえないと本番に行けない。だからと言って、役者を追い込んで良いものを出そうということではないんです。僕の想像に近づけるために何度もテイクを重ねさせてもらうこともありましたが、みなさんが応えてくださったので、結果的に粘って良かったと思っています。
Q:東家の女性三人が、まるで三姉妹のように見えるくらい“家族”を演じられていたのも印象的でした。
あの三人が上手くいったのが面白かったですね。松原智恵子さんに至っては、少女のようですから(笑)。現場でも松原さんが一番下の妹みたいになっていましたが、その雰囲気が作品に出ていたのかも知れません。そういう意味でも、僕が最初に描いていたものを崩してくれた人が松原さんです。とても愛おしくて、最終的には僕の想像を悠々と飛び越えちゃいましたね。
Q:劇中には、「相対性理論」の本や誕生日ケーキなど、“時計回りに回転する”という映像を点在させていますが、メリーゴーランドだけ“時計とは反対回りに回転”しています。あの場面では、まさに昇平が“昔を思い出す”ことで“時間が戻っている”と感じさせている点が素晴らしいと思いました。
僕があの場面で一番好きなのは「お父さん帰ってくるよ!」という蒼井さんの台詞です。つまり、時を帰ってくるんですね。帰ってきた昇平の顔は、三人が幸せだった頃の昔のお父さんです。だから、時計とは逆回転であることが美しいと感じるのではないでしょうか。
Q:中野監督の作品は、人の“死”を題材にしながら“死の瞬間”を描かないという選択をしている点も特徴ですよね。
僕が描こうとしているのは、“残された人がどう生きるのか?”という方なんですね。だから、中島先生が最後に崇を描いて終わらせているというところがとても好きなんです。残された、それも一番若くて、未来のある人物を描いているからこそ、“死の瞬間”を描く必要はないと考えています。

プロダクション・ノート

 映画化への“長い”道のり 

原作
2015年5月に出版された中島京子の小説「長いお別れ」(文藝春秋)。原尭志プロデューサーは、認知症を患った、父との“お別れ”を果たしていく家族の姿が綴られる物語の中で、「我々が頭で記憶していることは不確かなのではないか?心で記憶していることの方が確かなのではないか?」と考えさせられる内容に惹かれ、原作権を取得。映画化にあたり、『チチを撮りに』(13)から注目していた中野量太に監督を打診した。『チチを撮りに』もまた「長いお別れ」と同様、お互いの関係を修復してゆく家族の姿を描いた作品。小説を読んだ中野量太監督は「オリジナルへのこだわりを初めて捨てることができた原作」と快諾。当時完成したばかりの『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)を関係者試写で観た原プロデューサーは、中野監督で「長いお別れ」がいけることをさらに確信したという。
脚本
2016年3月から脚本開発を開始。中島京子は映画化にあたり、唯一のオーダーとして「原作にあるユーモアや“おかしみ”だけは残して欲しい」と提案。「あとは自由にして頂いていいです」と、原作を中野監督に預ける形となった。それまで中野監督は、自身で脚本を手掛けてきたが「今回は他の人と一緒に脚本を書いてみたい」と考え、旧知の仲でもあり、『海月姫』(14)などの脚本を手掛けてきた大野敏哉との共同脚本という形がとられた。大野敏哉の脚本は、例えば『シムソンズ』(06)や『武士道シックスティーン』(10)などのように、複数の人間を描きながらも、その骨子を失うことなくユーモアを兼ね備えている点が特徴。『長いお別れ』では、原作の“三姉妹”という設定を“二人の姉妹”に、10年の物語を7年にするなどのアイディアによって、本筋を変えることなく、次第に物語が整理されていくことになった。
脱稿
物語の構築や台詞の在り方、言葉の選択にこだわり続けた結果、脚本開発は撮影直前となる2018年8月のギリギリまで行われた。親が子を想う気持ちとは何なのか?そして、子が親を思う気持ちとは何なのか? この二つの視点を持つ立体的な家族の物語は、最終的に2年半もの年月をかけて生まれることとなった。中野監督は、この映画の描くべき本質を忘れないために、「認知症は、記憶を失っても、心は生きている」という言葉を台本の裏表紙に書き込んだ。

 不思議な縁に導かれた
キャスティング 

芙美・蒼井優
蒼井優が演じる次女・芙美は、家族との関係が一番遠いところに位置しているキャラクター。父親の症状がどんどん進行してゆく中で、家族から一番遠い存在だった彼女が、家族に近づいてゆく点が重要となる。「何者でもない彼女が何者かになろうとあがいてゆく」という三十代の女性が抱える焦燥。それは蒼井優にしか演じられないと中野監督は考え、切望の末に実ったキャスティングとなった。
麻里・竹内結子
独身の芙美に対して、結婚して子どもがいる麻里は、実家とは物理的にも距離の離れたアメリカに住んでいるという設定。製作陣は「独特の光を放ち、様々な問題を抱え右往左往しながらも、それを嫌味なく魅力的に演じられる役者が、長女として相応しいのではないか」と竹内結子にオファー。長女役であることは撮影現場においても、自然とキャスト間の“和”を作り出すという意識へと繋がっているように見えた。
曜子・松原智恵子
中野監督作品における特徴とも言えるのが、“母なるもの”が何であるかを描いてきたという点。そういう意味でも、松原智恵子が演じる母・曜子は、チャーミングさを保ちながら、娘たちが気付いていないことをひとりだけ気付いているという繊細さを併せ持つ重要な役どころ。撮影現場では、監督の世界に松原智恵子が引き込まれるというよりも、松原智恵子の持っている世界に監督が歩み寄ってゆくという印象があり、両者の歩み寄りが作品に対する相乗効果を生み出していた。

昇平・山﨑努
東家4人のキャスティングは『長いお別れ』の根幹を形成するもの。父・昇平役をオファーされる前から、たまたま原作を読んでいた山﨑努は、「これが映画化されるとしたら、昇平役は自分のところにオファーが来るのではないか?」との、不思議な予感を感じていたという。その後、オファーと共に届いた本作の脚本を読み、『湯を沸かすほどの熱い愛』と『チチを撮りに』を観た山﨑努は、その才能に惚れ込み出演を快諾。撮影前の段階から、中野量太監督に対して絶大な信頼を置き、撮影へと臨むことになった。

 人の気配があるロケ地 

東家
中野量太監督の作品では、例えば『チチを撮りに』や『湯を沸かすほどの熱い愛』だけでなく、短編『琥珀色のキラキラ』(09)においても、<家>が“もうひとつの主人公”ともいえる重要な役割を担ってきた。今回、東家の撮影場所に選ばれたのは千葉県郊外にある一軒家。つい最近まで実際に人が住んでいたことで「まだ人の気配がある」という点が、美術による作り込みだけでは生まれない“生きた家”の磁場や空気感のようなものを感じさせる由縁でもある。とはいえ、家具類はすべて撮影のために搬入し、壁紙も張り替えられ、<汚し>が加えられている。その“人の気配”や“人が住んでいる感じ”が導く、生活感を残した自然な美術・装飾の数々もまた、本作の見どころ。また「居間からキッチンが見える」という間取りも、過去作品に散見される共通点だ。「母親のいる場所」=「キッチン」だとすれば、そこから「家族のいる場所」=「居間」が見えるという位置関係は、本作においても欠かせない要素だったのである。
<食>を描く
映画の中で丁寧に<食>を描くということも中野監督作品の特徴のひとつ。<食>に関する記述は原作にも溢れているが、それは三女がフードコーディネーターであるという設定にも起因していた。映画では、芙美がフードトラックで移動販売をしているという設定に変更されているが、やはり<食>という要素は欠かせないものとなっている。撮影現場にはフードコーディネーターの小森真梨子が立ち会い、家庭で作られる料理に対しても「美味しく見せたい」という細やかな演出が施された。例えば、本作の前半で重要なアイテムとなる“出し巻き玉子”。小森とはフードコーディネーターをリサーチする過程に出会い、撮影にも参加してもらえることになったという経緯があるのだが、偶然にも彼女の専門が卵料理の研究だったという縁にも恵まれている。



 天候や気温に悩まされた撮影 

誕生日のリハーサル
クランクイン前から、中野量太監督は「どうすれば東家の人たちが本物の家族に“見える”のか?」という点に対して苦心していた。そこでクランクインを数日後に控えるある日、東家の人々を演じる蒼井優、竹内結子、松原智恵子、山﨑努、そして新役の北村有起哉、崇役を演じた蒲田優惟人、杉田雷麟のふたりが召集された。物語の中では“70歳の誕生日に集う”ことが描かれているが、その4〜5年前の誕生日という設定のもと、ハウススタジオを借りて誕生日会のリハーサルを行ったのだ。フードコーディネーターの小森は、誕生日ケーキや料理を実際に用意。脚本を読み合わせるのではなく、其々が芙美、麻里、曜子、昇平、新、崇という立場で食卓を囲んだ“過去の誕生日という設定のリハーサル”を行うことで、東家が東家になるための関係性を構築していった。中野監督は「家族を演じる上では、家族になる時間が必要」と語っているが、東家のキャストが撮影前に会っていることで、衣装合わせや脚本の読み合わせなどとは異なる何かが生まれた瞬間になったという。
クランクイン
8月25日、日本全国で猛暑が襲う中、曜子がアメリカへ電話をかけるシーンで1ヶ月に渡る撮影の幕が開けた。この日、東京の気温は37度を記録。窓を閉め切っての撮影で、キャストもスタッフも熱さに悩まされた初日となった。その数日後、実際の施設である<稲城デイケアセンター そよかぜ>での撮影が山﨑努の撮影初日となった。平日は利用者がいるものの、デイサービスは土日が休みのため、利用者のいない土日を狙って撮影。蒼井優と山﨑努は初共演だが、ふたりの間に生まれてゆく親子の情を初日から感じさせる演技の応酬に、監督もスタッフも手応えを覚えることとなった。






遊園地
映画も原作と同じように遊園地の場面で幕が開ける。夕刻を迎える時間帯が設定であるこの場面は、映画におけるクライマックスのひとつにもなっている。遊園地を描くことが『長いお別れ』の肝であるのは、唯一、昇平の主観が入る場面でもあるからだ。中野監督はレトロ風な見栄えのメリーゴーランドというイメージにこだわったが、それはこの場面で家族が過去と邂逅することになるからだった。関東圏内を探し回ったところ、千葉県野田市にある<森のゆうえんち>で撮影されることとなった。遊園地での風景はポスタービジュアルにも採用。生憎の小雨が降る中、ライトアップされたメリーゴーランドに乗った昇平を見守る家族の姿を撮影した幻想的な映像は、撮影現場の情景そのものが感動的だった。
日本列島を襲った台風被害
撮影期間は全国的な台風被害があった時期と重なり、天候に悩まされ続けた。その中でも多摩川の土手で撮影する場面は、雨によって三連敗を喫した。撮影スケジュールは何度も変更されたが、最後の最後になって天候に恵まれた。山﨑努、中村倫也、蒲田優惟人の三人が土手に座っている場面も、撮影開始当初曇天だったのだが、撮影が始まると雲間から照らし出される陽射しによって微かな陰影が生まれ、奇跡的なショットを導いている。





時代の変化を演出する
本作には、震災や東京オリンピックの決定など、我々が実際に経験してきた平成のトピックスが時系列の中に挿入されている。7年間という時間の流れを観客が感じられるのは、芙美の様々な人生の変遷を見事に表出させた蒼井優、そして昇平の症状の変化を巧みに演じ分けた山﨑努らの演技アプローチや、監督やスタッフによる細やかな演出など、総合的なスキルが積み重ねられたことによるところが大きい。時代の移り変わりはあっても劇的な変化があるというわけではないという点もまた、本作の演出における難しさ。ヘアメイクの橋本申二は月日を跨いだ微妙な変化を表現するため、髪型の設定に注意を払っていた。例えば、竹内結子の髪型。描かれる年によって分け目を変え、ウィグを付け替えることで髪の長短を少しだけ表現するなど、その工夫が詳細に記録された写真やメモを基に施されていた。“麻里の7年間”という微妙な変化が表現されている由縁である。

 中野量太監督の演出 

名優に臆さない中野量太監督
『長いお別れ』は順撮りではない。そのため「昇平の症状をどのようにコントロールするのか?」ということは、中野監督の演出プランにおいて、重要となるテーマのひとつだった。例えば、山﨑努のクランクイン初日となった日に撮影されたとあるカット。症状がかなり進行したかのような演技を披露する山﨑に対して、中野監督は演技を一旦止めた。彼の中では「まだそこまでではない」という判断があったからだ。黒澤明や成瀬巳喜男、伊丹十三など名だたる名監督と数々の現場を共にしてきた名優と、商業長編作品2本目のルーキーという対照的なふたり。「どこに基軸を置くのかという自分のプランを、ここで上手く伝えないと、この後がブレてしまう」と感じた中野監督は、山﨑努に対して臆さず「僕の思っている昇平さんの症状は、まだそこまでのステージに至ってないです」とはっきりと伝えていた。監督と役者の距離感がまだ掴めていない初日からはっきり言える姿は、この現場で確実に見えているものが中野監督の中にあることを感じさせずにはいられなかった。
明確な世界観と演出プラン
撮影現場での中野量太監督は、脚本に書かれた台詞の文字ひとつに対しても役者に正確さを求めていたことから「描きたい世界が明確」だと感じさせた。このことについて原プロデューサーは、「あらゆる局面において、監督の中では1+1=2であるという、表現したい世界を描きだすための明確な公式と解答を常に持ち合わせているんです。一方で、各部からの提案や現場の諸事情で引算をせざるを得ないような状況になれば、3-1もまた2であるとするような、そんな演出家としての力強さも現場では感じました」と述懐している。
現場で悩まない明確なイメージ
演出としてやりたいことがハッキリしているからか、監督が現場で悩むという姿が見受けられなかったのも『長いお別れ』の撮影で印象的だった点。スタッフ間に流れる空気感も穏やかで「中野監督のために」という共通認識が生まれていたようにも見えた。中野監督は絵コンテを作成せず、カット割やカメラポジションを撮影の月永雄太とその場で決定。スタッフ組みをする際に「特殊なことをやるのではなく、脚本に添って素直に撮ってくれるカメラマンが理想」と語っていた中野監督。監督の意図やスタイルを咀嚼しながら、より良い画作りを心掛ける月永雄太の姿勢は、監督と撮影者との相性の良さを導いていた。
原作者が心を震わせた演技
撮影も大詰めに近づいた9月下旬、原作者・中島京子が東家のロケ場所へ陣中見舞いに現れた。この日の撮影は、縁側で芙美と昇平が語り合う場面。「ゆーっと」という印象的な言葉を放つ、この映画の中でも重要な場面のひとつだったが、またまた生憎の悪天候。現場では照明によって光が足されていたが、シーンが終わる瞬間に雲間から“天国の階段”のような陽射しが射し込んだ。その刹那、モニターを覗いていた中島京子は「昇平さんがいる…」と声を漏らし、瞳をうるませた。原作者自身の経験を基にした小説、それを役者が演じる姿を目撃したことによって生まれた感動。それが、映画『長いお別れ』のすべてを物語っているように思えたのであった。 (TEXT:松崎健夫)